【野田岩】鰻専門の老舗、その時代の客と職人に愛されて200年。


今回の100年企業は、創業200年を超える鰻専門の老舗、野田岩様です。

明治初期の花街や芝居小屋で賑わう街並みの中でも、現代の高級感のある商業施設の中でも、日本文化とは程遠いフランス・パリでも変わらない魅力を発揮する「野田岩」。

先祖代々、自身で育て上げた職人と共に、鰻を焼き続ける5代目当主 金本氏にお話を伺いました。


インタビュアー:安東裕二

プロフィール

金本 兼次郎

かねもと・かねじろう――昭和3年東京生まれ。早稲田工手学校卒業。32年父・勝次郎の後を継いで、寛政年間創業のうなぎ屋「野田岩」五代目に就く。平成19年厚生労働省より「卓越した技能者の表彰(現代の名工)」に選出される。著書に『生涯うなぎ職人』(商業界)がある。

目次

  1. 老舗たる所以は「変わらない味」ではなく「その時代の人に愛される」こと
  2. 野田岩ブランドを守るための「ド素人」採用
  3. 伝承と革新の両立 新しい味わい「ワイン×鰻」のルーツ
  4. この先は九州出店へ。若い人を一人前にする覚悟。
  5. 職人を育て続ける社長に聞く。100年企業に必要なこと

老舗たる所以は「変わらない味」ではなく「その時代の人に愛される」こと

― 鰻屋として長きに渡って愛され続ける野田岩様ですが、その秘訣は何だと思われますか?

金本氏:その時代のお客様に合った味を作ることです。

老舗だと「変わらない味…」という印象があると思います。昔は野田岩も同じ味を作り続けていました。しかし、4代目の父からは、その時代を生きる人の舌に合わせることが大切だと気づいて、秘伝のタレの配合を少しずつ変えています。

― そうなんですね。そのように気づかれたきっかけは何だったんですか?

金本氏:もともとこの界隈には味を競い合う鰻屋が多くて、4代目の父が高級店に行き、鰻を焼く匂いで研究をしていました。そこでタレが違うと気づき、みりんの割合を増やして甘めにしたところ好評を得たのがきっかけです。

― では、金本さんが鰻を焼き始めてからも、味は時代に合わせてきたということですか?

金本氏:そうですね。

例えば、戦後間もなくて人々が多く肉体労働をしていた時代は、タレの味を少しさっぱり目にしてました。

― 時代が変わる中でも、変えずに守り続けている「こだわり」はありますか?

金本氏:「天然鰻」を使うことですね。

私が父から引き継いで5代目当主になったのが、丁度天然鰻が獲れなくなってきた時代でした。当時は養殖鰻がもう一般的に使われるようになっていて、一般家庭だけでなく他の鰻屋も養殖を使う店が多くなっていきました。

でも、私は養殖鰻を使うのがどうしても嫌で、どうあっても天然鰻だけを使いたかった。だから昭和35~36年頃から昭和47年の14年間は、天然鰻が入手できない冬場の2~3月は休業していましたね。

― 「使えないなら休業!」なんて、思い切りましたね。

金本氏:でも、そのくらいの考えがあったから、「天然鰻の野田岩」というブランドができたと思います。だから、お客様から「○○といえば野田岩」という確立したブランドを形成するのは、そんな簡単にはできないのだとこの時に学びましたね。

― 他のお店では養殖を使っているところが多かったと仰いましたが、野田岩様ではどのように仕入れていたんですか?

金本氏:利根川まで行って毎日仕入れに行っていましたね。

あとは、これは失敗したんですけど、香港まで行って仕入れようとした時もありました。言葉も考えも分からない中、ようやく天然鰻を買うことができて、東京へ送りました。しかし、当時流通関係がしっかりされておらず、羽田の空港でちゃんと保存もせずに一晩放置されてしまって、鰻がみんな死んでしまって仕入れに失敗しました。

それを2~3回しましたが、海外からの仕入れは上手くいきませんでしたね。

五代目 野田岩 麻布飯倉本店

野田岩ブランドを守るための「ド素人」採用

― 鰻屋は職人の手によって提供する味が変わってしまう、とても難しい職業だと思うのですが、採用や育成の部分での心掛けていることはありますか?

金本氏:「即戦力は採用しない」ということですかね。既に研修を受けた調理師会からの採用や、他の鰻屋で経験を積んできた職人はあえて雇わないようにしています。調理師会からも、一人も雇ったことはありません。

― 即戦力を採用しない理由は何でしょうか?

金本氏:「野田岩」という店の個性を守るためです。商業施設等から「お店を出しませんか?」と言われたり、支店を出そうとすると、人手がいないと言って中途採用をしてしまいたくなりますよね。でも、そうすると、自分の店のオリジナリティが失われていくんです。

調理師会から雇用したり、経験者を雇うと、もちろんすぐに鰻は焼けますが、既存の腕がある分、「野田岩」の職人としての技術が定着することが難しい。だから、自分で育てることを大切にしています。ブランドはそうやって守っていくべきだと思います。

― では、抱えている職人さんは全員1から育て上げたということですか?

金本氏:そうですね。理想は、中学卒業してすぐに入社するのが一番良いですね。鰻を裂けるようになるのは大体6ヵ月くらいかかるんですけど、他の職業やアルバイトとかで甘やかされた子たちは、1~2年経っても裂けないことが多いので。だから、中学卒業後すぐに入りたいと言ってくれる子がいたら喜んで雇っています。

から金本さん自ら教えたり、上達するまで面倒を見るのは大変ですね…。どのように教えてらっしゃるんですか?

金本氏:「基本をしっかりやってから新しいことを考えろ」とよく言っています。鰻は、間口は狭いけど奥が深い世界です。「焼き」というものは単純に見えて繊細で、毎回同じように焼き上げるのは難しい。だからその「新しさ」を追求する心も、もちろん大切です。、でも、若いうちはそんなことを考えずに、まずは基本を守れと、新しいことを考えるのはその後だろうと、いつも言っています。

― 時代に合わせてタレを変化させ続けてきた野田岩様だからこその、重みのある言葉ですね。

伝承と革新の両立 新しい味わい「ワイン×鰻」のルーツ

―金本さんは、ワインやキャビアなどの洋食と鰻という新しい味わい方を発案していらっしゃいますが、そこに目を向けたきっかけは何だったのですか?

金本氏:知人に連れられて行ったステーキハウスで初めてワインを飲んだのがきっかけです。それから、ワインを勉強するようになりました。お店では志ら焼にワインを1杯ずつサービスで出したのが最初です。もちろん、賛否両論はありましたが、「おいしい」と思う自分の味覚には自信があったので、お店でも出すようになりましたね。

何せ、ワインは体壊しそうになるくらい飲みましたので(笑)

― 料理人の探求心が働いてしまったんですね(笑)「野田岩」はパリにも出店してらっしゃいますが、その経緯は何でしょうか?

金本氏:出店を決めた当初の20年前のパリは、不況のどん底でした。だから、レストランは軒並み空いていましたし、土地やマンションの一角が安かったこともあり、買ってしまいました。

― 来店されるお客様はフランス人の方が多いですか?

金本氏:ほとんどフランス人ですよ。フランス料理では鰻はグリルか煮込むかの調理法しかなくて、日本料理の「蒲焼き」には蒸す工程も入るから、脂肪が落ちて食べやすいんでしょうね。あとはタレが好評で、お米も召し上がっていただけます。


NODAIWA Paris-Tokyo

この先は九州出店へ。若い人を一人前にする覚悟。

―今後のビジョン、特に5代目6代目と続けていきたいことや、これからの展望を教えてください。

金本氏:採用は私がいなくてもできるようにしたいと考えています。そのために、今は、九州に店を出そうと考えています。

―人を増やすのに、店を増やす施策を?

金本氏:そうです。先程申し上げましたが、私は中学卒業したくらいの年の子を雇いたいと思っています。現代だと、上京する子が目立ってはいますが、その子たちはメディアに取り上げられやすいだけで、地方にはその倍以上の地元で働く人たちがいます。そこに店を出すことで、地元で育ち、地元で働くという選択ができるのではと思っています。そこの職人が一人前になった時、好きな場所に出店させてあげれば、夢を叶えてあげることもできますし。

―では、お店を増やしていくという考えも、職人の育成に関係しているんでしょうか?

金本氏:そうですね。高島屋に出店した時も、下北沢に出店した時も、もちろん自分が育成した職人に任せています。従業員には10代の頃から長い人生という時間を野田岩に捧げてくれている訳ですから、私にはその子を一人前に育て上げる義務があります。支店を任せたり教育に時間を割くことは、従業員に投資する気持ちで臨んでいますね。

― しかし、職人の世界だとそこから独立する方もいるのでは?

金本氏:野田岩ではあまり独立する子はいませんね。特に引き留めたりしているわけではありませんが、従業員にはよく「親よりも面倒を見てもらった」なんて言われます(笑)

だから、野田岩は従業員にも愛されているのでしょうね。有難いことです。

職人を育て続ける社長に聞く。100年企業に必要なこと

― 最後に、これから100年企業を目指す経営者の方へ、メッセージをお願いします。

金本氏:「我慢ができない経営者の元に、人は育たない」ということですかね。

私は従業員に対して時間・腕ともに投資する覚悟を決めています。その覚悟を決めていて、たっぷり時間と手間を惜しまず根気強く教えてくれる経営者がいれば、従業員はしっかりそれに応えてくれます。だから、「我慢するのは従業員ではなく経営者の仕事」ということは、どこに行っても私が良く言う言葉ですね。

― なるほど、今まで腕のある職人さんを我が子のように育ててきた金本さんならではのメッセージですね。本日はありがとうございました!