今回の100年企業は、大正11年創業のオグラ金属様です。
織物の街・足利で生まれ2022年で創業100年。幾多の逆境を乗り越えながら多岐にわたる商品を開発され、タイ・中国・ベトナムに子会社・業務提携企業があるというオグラ金属様。今回は活気溢れる企業づくりに取り組まれている、社長の小倉様にお話を伺いました。
インタビュアー:安東 裕二
プロフィール
小倉 勝興
おぐら・かつおき──1980年3月立教大学卒業、1981年3月オグラ金属入社、2002年5月代表取締役副社長就任、2010年6月代表取締役社長(五代目)に就任。
平成28年度経済産業省「はばたく中小企業・小規模事業者300」受賞、平成29年度経済産業省「地域未来牽引企業」選定、令和元年12月JICA(国際協力機構)「中小企業・SDGsビジネス支援事業」採択など業績多数。
代々引き継がれてきた「地域社会の人々のためになくてはならない企業でありたい」の理念を経営目的の第一義とし、全社員が「生き甲斐・働き甲斐」を持ち、生涯を共に歩んでゆけるような企業づくりに取り組んでいる。
目次
100年変わらぬ企業理念、「社員を大切に」
―本日はお忙しい中ありがとうございます。間も無く創業100年を迎えるオグラ金属さんですが、現在に至るまで、長い間大切にされてきた理念についてお伺いしたいです。
小倉氏:歴代の社長が得意とする分野によって経営の方法は若干変わっていますが、経営理念は変わっておらず、社員を大切にし地域社会に貢献するという理念が一貫してあります。
例えば、最初に見てもらった弊社の歴史や取り組みを映像化した「ヒストリー&チャレンジ」もそうですが、若い社員が自分の勤めている会社の歴史を知らない、という問題がありました。そんな中で何年史なんて本を渡しても理解できないと思いました。
―確かにそうですね。
小倉氏:そこで、過去に出版した記念誌のスナップ写真などを音楽にのせてこの「ヒストリー&チャレンジ」を社員に見せるために作りました。上期、下期にある経営方針発表の時に流して、全社員に見てもらいます。見学のお客様にも弊社を知ってもらいたいという思いで見ていただくようになりました。
またこの映像は、社員が作ったものなので、その時々によってトピックスや数字を最新のものに変えられる、というメリットもあります。
―社員の方たちが作るというのがまたすごいですね。
小倉氏:そうですね。そういうことをやるのが好きな人がいるんですよ。だからといって対価が支払われるわけでもないのですが(笑)
あとは、4人の女性リーダーが各部に一人ずついて、日常業務に加えて会社の案内を任せています。案内するためにはまず自分が知らないといけないので、自分の会社が一体どういうものを作っているのかを定期的に調べ、勉強することに繋がります。そういう面では社員教育としてもすごくプラスになっていると思います。
4人の女性リーダーの指導のもと、会社案内をマスターした若手社員は8人います。この12名が足利流5S改善活動の見学者と、仕事関係のお客様への会社案内を一手に引き受けてくれます。
我々が説明するとどうしても自分の知っていることに偏って話してしまいがちですが、こうした全員参加型のシステムであればそういうこともないですし、その点では本当に標準化されていると思います。
ロボットからLEDまで、バラエティ豊かな商品の数々
─様々な商品を開発されていますが、どのような方法を採用しているのでしょうか?
小倉氏:我々の規模で「なんでもいいから作れ」となると、造る側の自己満足で終わってしまって、良いものだけど売れない商品を開発してしまう。どうしても製造業は売るのが下手なので、市場から得るヒントを具現化する方法を採用し、成功率を高めています。
最近では、地震で崩壊した家屋に人がいるかどうかを確認する、探査ロボットに着手しています。日本にも製品があることはあるのですが、コストなどの様々な側面を考慮すると、決して気軽に購入できるものではありません。おまけに使用方法をマスターするのに長い時間を要します。そこで我々は地方の行政にターゲットを設定して、価格も300万円代と安価に、操作もラジコンのプロポを利用して簡易に操作できるようなものを発案しました。
消防署などの他に、農家の方にも役立てていただけないかと検討しています。山形県の「温海かぶ」は急斜面で栽培されているのですが、今農業に携わっている方々がもうお年で、斜面を登るのがなかなか厳しいという現実があります。そこで、かぶの育成具合をロボットのカメラでチェックしようとしているのですが、こちらも並行して開発が進んでいます。
もう一つ、栃木県の農場試験場と共同開発したもので、花の成長を促進させるLEDがあります。これは単なるLEDではなく、花の開花に影響がある波長を見つけようという試みで、開発に8年くらいかかりました。
―失礼ながら、私の知っている金属会社さんと全く違うというか、ロボット、AI、LEDなど最先端のIT会社であるかのような印象を受けました。
小倉氏:いやいや、そんなことはないですよ。これは「会社の夢」であって、実際の仕事はまだまだアナログです。ただ、何かやってないと、技術成長が止まるという危機感から、常に商品開発を行っています。
─頼まれたものをそのままというよりは、企画からやられているのですか?
小倉氏:そうですね。20年くらい前までは図面をいただいて部品加工のみを行っていた会社でしたが、やはりそれだと、弊社の規模では敵いません。弊社と30人規模の会社で同じ図面でコンペをするのでは、もうチャージが違いますから。弊社は例えば素材を加工するだけではなくて、最終的な組立て工程まで関わることでどうにか受注にこぎつけていますが、それも厳しくなってくる。そこで現在は工場を持たない商社さんからの依頼を、設計・試作段階から具現化していく、という形の受注が多くなりましたね。
─従業員330名くらいだと、大手と比べてしまえばキリがなく、またフットワークの軽い十数人規模というわけでもない、絶妙な立ち位置ですよね。
小倉氏:そうですね。実際今は400人前後いるのですが、弊社はただの下請け製造業としては大きすぎます。いかにそこを脱してオリジナリティの強い会社を築くか、というのが課題ですね。
─売り上げや利益率についてお伺いしてもよろしいでしょうか。
小倉氏:下がらないように一生懸命という感じですね。コストダウンはしないといけませんし、顧客満足度は常に上げていかないといけません!しかし、去年みたいな災害には本当に参りました(笑)
─今までにもそういったピンチはあったのでしょうか?
小倉氏:わりと頻繁にありましたよ。大体5年周期くらいですかね。今回は2019年10月12日の台風19号の水害で、年が明けた途端にコロナと続きました。
2009年のリーマンショック後のダメージも大きかったですが、うちは2002年4月に当時一番のお客様の三洋電機自動販売機事業部が、いきなりライバルの富士電機に事業譲渡してしまうという、わが社にとっては大事件が起きました。私が経営に携わってからは最大のピンチでしたね。
─長い歴史の中でも、この20年くらいがすごく濃いというか。
小倉氏:そうですね。バブルまでは高度成長期だったじゃないですか。だから普通にやっていればどんどん伸びてきたわけですね。だけど高度成長が終わって、バブルも弾けてからが大変でした。
この工場ができたのが1993年の8月で、1990年に発注したのですが、それがちょうどバブルの頂点から下り坂に入るところ。市内にあった4つの旧工場跡地の売却費が5分の1くらいになり、売り上げも落ち、その後前出の大事件が起き、負債がどんと膨らんでしまいました。この工場を作るのも87億かかりましたから。
―87億・・・!
小倉氏:その時の負債も今は1/4程度に減ったのですが、今度はコロナのおかげでまた大変です(笑)
企業にはいい時もあれば悪い時もあるといいますが、本当にその言葉を実感したこの20年でした。波がある中で、悪い時にいかに我慢するか、そして良い時にいかに驕らないかだと思います。
まずは挨拶から。活気溢れる職場づくりの秘訣
─先ほどの「ヒストリー&チャレンジ」もそうですが、社員さんたちの自ずからアイデアを生み出そうとする積極的な姿勢に驚きます。そうした雰囲気は理想である一方で、生み出すとなると非常に難しいものだと思いますが、何か秘訣はあるのでしょうか。
小倉氏:確かに、そうした空気をつくるのは非常に時間がかかることだと思います。私が入社した頃は、「先輩の作業を見て技術を盗め」という全てにおいてその様な風潮だったのですが、1994年の春に初めて教育費という項目の予算を組んで若手と新人を中心に教育をはじめました。もう30年近くやっていることになりますね。
─教育が実を結んだということですね。ちなみに、従業員からの意見を取り入れるかどうか、社長の中での線引きはあるのですか?
小倉氏:比較的柔軟に取り入れていると思います。ただ、同僚の文句と愚痴だけは言わないように指導していて、その点は昔に比べて相当改善されたと実感しています。
また、以前は4つの会社が一カ所に集約したという歴史から、部署間での壁があったのですが、世代交代して今の部長に就いた人たちは一緒に育ってきたこともあり、そういう壁も無くなりました。やはり同一目的を持ち、和を尊重し感謝をしないと企業はうまくいきませんからね。
他のところだと、例えば昇給制度についても、もちろん従業員の望むままに、とはいきませんが、常に公平であるよう心がけています。
─評価は社長と各部署の部長で話し合って決定しているのですか?
小倉氏:そうですね。まず各リーダーが人事考課を行い、それらを集計したものを部長が評価します。部長によっても考課の差がでますので、厳しすぎたり甘すぎたりすることがないように、私が目を通して不公平と感じたところには言及するようにしています。
─実際に工場を見学させていただいて、皆さんが気持ちよく仕事をしている様子に感銘を受けたのですが、あのような雰囲気はどうやって生み出しているのでしょうか?
小倉氏:雰囲気づくりは最低10年かかるものだと思います。例えば挨拶などは入社時から口酸っぱく指導していて、最初は我々幹部も朝は入り口に立って自発的に「おはよう、おはよう」と声をかけていました。
─学校の校門に先生がいるイメージですね。
小倉氏:まさしくあの感じです(笑)。加えて、今日みたいにお客さんがいらっしゃるときには、社員の対応が「会社の顔」になるわけじゃないですか。いわば、全員が営業マンの状態です。その中で、もし誰も彼も仏頂面して挨拶もしなければ仕事には結びつきません。みんなが挨拶することによっていらした方が目を向けてくれる、ということが重要だと思います。
─随所に散りばめられた、自ら仕事を楽しむための工夫が印象的なオグラ金属様。組織の活性化を図る取り組みの数々など、大変勉強になりました。本日は貴重なお話をありがとうございました!
コメントを残す