【カクイチ】会社は社員一人一人が輝く舞台。老舗ベンチャー企業を支える理念。


今回の100年企業は、明治19年創業の株式会社カクイチ様です。

「やろう、誰もやらないことを」のスローガン通り、ガレージから太陽光パネル、ミネラルウォーターやホテル事業まで多方面に活躍されるカクイチ様。その135年に渡る歴史のはじまりは、長野県更級郡に開かれた一軒の金物商でした。

しかし、目覚ましい成長の裏には多くの苦労もあったそうで、今回はそんなカクイチ様がいかにして事業領域を展開してきたのか、その経営理念の変遷とともにお話を伺いました。


プロフィール

田中 離有

たなか・りう

1962年長野県生まれ。1985年慶應義塾大学商学部卒。90年米ジョージタウン大学でMBA取得。2001年代表取締役副社長を経て、2014年よりカクイチ代表取締役社長に就任。小規模高級ホテル、太陽光発電など常に時代を見据えた新しい事業に取り組み、成功させている。

人の数だけ社是がある

―本日はよろしくお願いします。はじめに根本的なところから、経営理念をお聞かせ頂ければと思います。

田中氏:よろしくお願いします。まず私の曽祖父である初代社長が掲げていたのが「信用第一」です。良心的な価格や正確な納期、品質の保証などから築いた信用がカクイチの原点です。例えばカクイチから買った鎌は、仮に1ヶ月で歯が欠けたら取り換えたり、研磨を重ねて包丁が小さくなってしまったら「使い込んでいただきありがとうございます」ということで新品を差し上げたり、お客さんとの信用関係を第一にするというのが初代の理念でした。「各々が1番」、そんな思いからカクイチという社名が生まれました。

2代目を経て、毛色が変わったのが3代目である父の時代です。もちろん初代から続く信用第一の理念は尊重していましたが、どちらかというと社員の方を向いていたように思います。何しろ戦争を経験し、死を直視していますから「我々は何のために生まれ何をして生きるのか」と存在意義を常に問いていました。「会社のために働くのではなく、自分のために働け」「会社を舞台にそれぞれが輝け」と。

4代目の兄の時代は、リーマンショックの影響もあって決していい時代とは言えませんでした。社長になった途端にメーカーとして衰退する時代がやってきたんです。また冷徹な合理化を進めたり、人事に力を入れたりしたのですが破綻してしまい、結果として業績も落ちてしまいました。これは赤字に転落した原因の1つでもあります。正直兄は優しい社長でしたが、運悪く不景気と会社の悪いところを全部引き受けてしまった印象です。

その後、私の代になった時はなんとか業績を立て直そうとしました。とにかく運でもなんでも良いので結果を出そう、と。優しい社長、リーダーシップのある社長、色々あると思いますが、運の悪い時期を経ているからこそ尚更、私が部下になるならとにかく運のいい社長ですね(笑)。

ちなみに、現在社内のボードの描かれている「Always ask for」は「喉が渇いた!よこせ!」のような貪欲さを、「脳をだませ!」は妄想を持ちなさいという意味です。

社長直筆の社是。

─これは社長ご自身で書かれたのですか?

田中氏:そうです。全部直筆です。それから、3代目の写真と格言を日めくりカレンダーにしたものを社内に置いています。様々な言葉を散らばせ、自然と目に入るようにして、潜在意識として作用させる目的です。

─これだけ多くの社是があるというのも珍しいですね。

田中氏:父はどちらかというと共通の価値観を持った仲間が1つの目的に向かっていくような形を目指していたように思いますが、私は何も理念を1つに統一する必要はないのではないかと考えています。というのも、1人1人共鳴する言葉は違いますし、会社組織はそういった多様性があってはじめて成り立つものですから。

3代目社長の格言を集めた日めくりカレンダー。

損失は投資である

─なるほど。ありがとうございます。カクイチさんは社長の代になってからSlackを導入されたり、様々な事業においてDX化に注力してこられたと資料で拝見したのですがそちらについてお伺いしてもよろしいでしょうか

田中氏:私が社長に就任するまでに色々ありまして、まずはそちらからお話させていただければと思います。まず、父が最高顧問に、前社長である兄が会長に退く形で私が社長に就いたのが2014年のことです。

─社長に就任されたのは最近のことなんですね。

そうですね。それまでの間何をしていたかというと、会社本体から外れて赤字会社の立て直しをしていたんです。子会社を立て直してはまた次の子会社へ、の繰り返しでした。外部への出向を命じたのは父ですが、思えば修行の意味もあったのかもしれません。長い長い下積み時代ですね。

兄が社長をしている間にバブル崩壊がありました。ただの業績不振ならまだ良かったところを、その時期にあるホテル事業経営を巡って兄・私と父が分裂してしまうんですね。元はと言えば私が父に紹介した人物と始めた事業だったんです。その頃は本業も振るわず、しかも新規事業まで失敗ときて、社員もまとまらず方針も決まらない時期でした。

そして結果的に、ホテル事業をカクイチから切り離し、父の単独事業として進めることになるんです。とはいえ完全に関係を断つ訳ではもちろんないので、会社から父の事業にお金を貸すことになります。その間にも様々な方面からトラブルが発生し業績も悪くなる一方で…。更にぐしゃぐしゃになってしまったんです。

─お話だけでも壮絶さが伝わってきます…。最終的にはどう収束したのですか?

田中氏:私が紹介したという負い目もあり、長らくその人物を会社から遠ざけようと奮闘してきました。ところがある日、様々な経験を経て、真に向き合うべきは父だと気づいたんです。父と一対一で話し合いを重ね、時には修羅場を潜らなくてはならないこともありましたが、最後には父も私を理解してくれました。

そうしてやっと事業相続も動き始めた訳ですが、今思えば、危機に衝突したとき、逃げずにどう立ち向かうかという試練だったのかもしれません。

落ち込んでいたホテルの方も、私自らが社長として仕切り直し、立て直しを図ることとなりました。また、そのホテルで出会った方と偶然の縁もあり、損失を取り返すために太陽光ビジネスを始めたのもこの頃です。農家さんに売っていたガレージの屋根に太陽光パネルをつける、つまりは自家投資のビジネスですが、「20万円払うから屋根貸してくれ」って普通詐欺だと思いますよね(笑)。

これが2013年頃のことで、先ほど申し上げたようにその翌年、社長に就任することとなりました。

─なるほど。そこで太陽光パネルの事業に繋がるんですね。

田中氏:まあ、ある意味ではあの日々があったからこそ気づけたことも多かったですね。

というのも、おかげさまでホテルの方がトリップアドバイザーで2014年に2位を、今年(2021年)には世界9位、アジア2位を獲得しまして。

ホテル事業に際して、経営的な危機、内部の人員的な危機、経営者同士のぶつかり合いがお金の流出を招いてしまいましたが、その出て行ったお金が投資として返ってくるということに気づいたんです。そのときに一つの明かりが見えて、一点集中で積極的にやり始めることができました。

アンシェントホテルのおもてなし読本

Slackがもたらしたもの

─2014年に社長に就任し、やっと自由の身ということですね。

田中氏:とはいえ、後ろに前社長と前々社長がいますから、思い通りにできるわけではありませんでしたが。いわばチェーンがついている状態ですね。

─そうした状況が変化したのはどのタイミングだったのでしょうか。

田中氏:2017年に父が他界したときですね。株の相続の問題を巡って兄と話し合いをしまして、その年の7月に兄が会社を離れることとなりました。

Slackを導入したのはその3ヶ月後のことです。もう二度と悪い時代を経験したくないという思いから新しいことに踏み切りました。

─なるほど。そんな思いが。Slackを導入してみて、変化はありましたか?

田中氏:工場のような機能型組織には適さないので、万能というわけではないと思いますが、意思決定をすぐにできるスピード感はやはり最大のメリットだと思います。

─直接誰とでもやりとりできるのは強いですよね。

田中氏:言い換えれば社内全体の目に常に晒されているということですから、成果を上げる分だけ承認欲求も満たされ、どんどんエネルギッシュになっていくというのもSlackの特徴の1つだと思います。もちろん社員の性格によって差異はありますが。

あとは空気を変えるにはいいですよね。Slackのような新しい技術を取り入れると、外部から「平均年齢46.5歳でSlack使っているなんてすごいですね」と褒められたりもするわけです。すると「そうか、うちの会社はすごいのか」と明るい空気が流れ始める。

やっぱり日本人はその場の雰囲気に染まりやすいという特性があると思います。なら、雰囲気を作ってしまえばいいんです。そうすればどんどんその活気が伝染していく。実践的な点ではもちろん、こうした社内マーケティングにも有効だと感じました。

カクイチのこれから。会社を繋いでいくものとは

─ありがとうございます。他にこれを変えていきたい、というものはあるのでしょうか。

田中氏:後継者問題については、同族経営を守る必要はないと考えています。1人しか後継者がいないというのはすごくリスキーで、例えばその人のお金の使い方が荒かったり、もっと言えば死んでしまったらどうしようもない。

だから何も同族でなくても、会社のDNAを受け継ぐことのできる人材であればいいと考えています。

また、太陽光ビジネスは20年が限界で、私がいる間は安泰だとしてもその先は決して明るいとは言えません。こうしたことを総合的に判断し、赤字の立て直しや会社の立ち上げなど、自分が経験した苦労を追体験させて、そこから這い上がった人間を経営者に任命するのが良いのではないかと考えています。

─最後に、創業から135年を迎えたカクイチさんですが、これから200年300年続いていく会社として、現在注力していることをお聞きしたいです。

田中氏:実用的なことだと、もちろんイノベーションは必要ですが、キャッシュを持つ、つまり本業を強めていくということがあります。うちで言うと、ガレージを買っていただくのは農家さんが多いので、農家さんとのネットワークを構築し、販売網を広げていくことが大切だと思います。

最近で言うと、売り上げの半分を占めているハウス事業を改良しました。例えば人を採用して拠点を作るなど、積極経営を実践すると現場が生き生きとしてきます。どうしても人間は経済成長をしていた方が元気ですからね。

しかし、その一方で真に会社を繋いでいくものは利益ではなく心の豊かさであるとも考えています。頭で割り出した数字の世界ではなく、人間の幸せとは何かということを考え続けるということですね。愛とは何かとか、そういう哲学的な世界です。

かく言う私も今まではその類を苦手としていたのですが、何のために生まれ死ぬのかというような実存的な命題は、経営と直結していることに気付いたんです。人を豊かにするには、まず自分が豊かでなくてはありませんからね。

だからこそカクイチは資本主義的な、お金のために働くような在り方を疑い、社員それぞれが自分なりの働きがいを見つけられるような会社作りを心がけています。

※写真撮影時のみマスクを外しています。

今回のインタビュー記事では収まり切れないほど、事業面や経営についての詳しいお話を聞くことができ、PICC一同とても勉強になりました。田中社長ありがとうございました!

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