【浅草中屋】伝統を守るためのビジネスモデル


今回の100年企業は、祭り用品と関連するイベント業を手掛ける老舗、明治43年創業の浅草中屋様です。
古くからある祭り用品を、ITを巧みに活用し、時代のニーズに対応した形で提供している同社。積極的な進化を続けながら100年以上の歴史を築いてきた経営の秘訣を、三代目社長である中川様に伺いました。


※過去のインタビューのため、レポート形式となっております。

中川 雅雄

1954 年東京都生まれ。
78 年中央大学法学部卒業後、平凡出版(現マガジンハウス)に
入社。『POPEYE』『Olive』等の編集に携わった後、広告制作畑を歩む。
88 年、父の経営する中川株式会社(屋号:浅草中屋)に入社。2002 年、社長に就任。
東京商工会議所台東支部副会長

目次

  1. 「お祭り用品といえば浅草中屋」時代のニーズに対応し進化を続けてきた軌跡
  2. 浅草中屋のビジネスモデルとその変遷
  3. 『商いは飽きない』『商いは飽きない』そして『日本伝統文化の継承』
    代々伝わる社訓、または家訓について
  4. 浅草中屋 IT化の主な変遷
  5. 最後に
  6. 質疑応答より

「お祭り用品といえば浅草中屋」
時代のニーズに対応し進化を続けてきた軌跡

 私どもは1910年、明治43年に東京市本所区吾妻橋にて総合衣料品店を開業いたしました。それから浅草に移り、現在の祭り用品の販売を始めさせていただいております。

 浅草中屋がどのような会社かご存じない方もいらっしゃると思いますが、実は4~5年に一度、皆様のお目に触れる機会がございます。大晦日、NHKの紅白歌合戦が終わった直後、「ゆく年くる年」の冒頭で浅草の浅草寺と五重塔が映されるシーンをご覧いただいたことがあると思いますが、その時のスタジオになっているのが私どもの屋上でございます。

 私どもの会社は祭り用品を取り扱っております。祭り用品とは一体どんなものかというと、これもテレビやマスコミでよく御覧いただいていると思いますけれども、毎年5月中旬に開催される浅草神社の例大祭・浅草三社祭、こちらで使われるお神輿以外の衣装、こちらをすべて取り扱っております。

 たまたま先代、先々代が始めた事業ですが、なぜ「お祭り用品といえば浅草中屋」とまで言われるようになったかと申しますと、時代のニーズに対応してきたからではないかと考えています。戦前までは、お神輿を担ぐのは男性だけというのが普通でした。ですから、私どもの会社も当時は取り扱っている衣料品の一アイテムとして、祭り用品を販売していました。それが戦後になると、女性もお神輿を担ぐようになってきたのです。そうすると、さらしに半股引(はんだこ)という昔ながらの格好では、ちょっとセクシー過ぎますよね。そこで、よく鳶や職人たちが使っている股引きと腹掛けで神輿を担ぐというスタイルに変遷してきたのです。たまたま私どもはいろいろな百貨店さんとお付き合いがあったので、これを祭り用品、江戸の三社祭スタイルとして日本全国に販売させていただくようになりました。

 時代劇に出てくる鳶や岡っ引きの格好ですから、古くからある衣装ですが、実際にはアパレルと同じ発想で作っております。2~3年に一度、日本人の体型に合わせながら、全ての型紙、CADデータの入れ替えを行っているのです。なぜかと申しますと、日本人の体型がどんどん欧米化しているからです。

 私どもの取扱商品で一番変わったのは、主力商品であるゴム底の足袋です。皆さんの中にも運動会等で履かれたことのある方がいらっしゃるかもしれませんが、昔のゴム底の足袋は、ペラペラと薄っぺらいゴムが使われていました。昔は泥道ばかりでしたからそれで良かったのですが、今はアスファルトが多いですよね。三社祭の宮神輿渡御でも10~20km、神田明神の神幸祭となると50km近く歩きますので、薄いゴム底では非常に疲れるということで、私どもは20年ほど前にオリジナルのゴム底足袋を開発しました。

 簡単に言いますと、見た目は足袋ですけれども、中身はスニーカーというものです。さらに、もう一つの進化系として、ナイキのエアーをモデルにしながら下はスニーカー、上は足袋というかたちのエアジョグという商品も開発・販売をさせていただいております。私どものオリジナルの足袋が5万足、エアジョグも5万足と足袋だけで約10万足を生産し、日本全国に販売をしております。


人気ナンバー1の5mmクッション・オリジナル地下足袋 白・黒・紺

 お祭り用品以外にも、遷宮の際の白装束や足袋なども取り扱わせていただいております。たとえば3年ほど前、伊勢神宮の式年遷宮がございましたが、その中で「お白石持ち行事」というものがございます。テレビでご覧になった方もいらっしゃるのではないかと思いますけれども、伊勢神宮は20年に一度、遷宮をするのですが、新しい御正殿の敷地に敷き詰める「お白石」を奉献するという、500年以上前から続く行事です。日本全国から「一日神領民」という形で人が集まり、この行事に参加されるのですが、前回・前々回と私どもが衣装を担当させていただきました。いまは15年後の第63回の式年遷宮に向け、準備に入っているところです。

浅草中屋のビジネスモデルとその変遷

私どものビジネスモデルとは、端的にいうと次の4点になると考えています。

  • 祭り用品を季節商品から通年商品に

従来は5月の上旬、三社祭にしか売れなかったお祭り商品を、日本全国に販売することで通年商品に変えることに成功しました。これが私どもの最大のビジネスモデルでございます。

  • 小売業からアパレルメーカーへの業態の変更

明治の創業からずっと小売業としてやっておりましたけれども、アパレルメーカーへと業態変更へしております。アパレルメーカーというと皆さん洋服を連想されると思いますが、祭り用品も染場で生地を染めて、それを縫製工場に持ち込んで縫製をして、そしてそれを売るということで、いわゆるアパレルの業態とほとんど同じことをするようになりました。

  • 商品企画から製造、消費者までの商流の確立

商品の企画から製造、消費者までの商流、いわゆる上流から下流まで全てを確保しております。業界で言う,SPA(speciality storeretailer of private label apparel)という形態です。ユニクロさんなどと同じように、私どももSCM(Supply Chain Management)や CRM(Customer Relationship Management) を実装しております。

店舗を見ていただいた限りでは、非常に古い商材が並んでいるように見えると思いますが、全ての商品にバーコードが付いていて、レジを通った瞬間、その取引の売上から粗利まで全て把握できる仕組みにしてあります。これはEPR(EnterpriseResourcePlanning)、会社の利益体型を瞬時に見える化しているということです。このように、SCM、CRM、EPRという3つの要素で動いているのが私どもの会社です。よく知り合いには、「羊の皮を被ったIT企業」なんてことを言われております。

  • IT技術により、日本全国にリアルな取引が可能

私どもの商品は、オンラインショップを通じ、日本全国に販売することができます。老舗企業さんによく見られるのは、百貨店さんに出店し、百貨店さんの販売力を使い、会社を大きくしていくやり方です。私はこれが、老舗小売業さんの商売の一つの基本スタイルだと思っています。

私どもも百貨店さんの口座を持っていて、商品を供給することができるのですが、なにせ祭りの時期以外は売れない商品です。経費倒れにならないよう、その時期以外は出店しないことを原則にしています。私どもの全国の主要な取引先は、北は北海道から南は九州までございます。よさこい祭りから始まりまして、北海道神宮の例大祭、青森のねぶた祭り、東北の三大祭など、年間約20ヵ所の催事に出店させていただいています。今年は諏訪大社の木落しも担当させていただきました。

『商いは飽きない』『商いは飽きない』そして『日本伝統文化の継承』
代々伝わる社訓、または家訓について

 続きまして、私どもの社訓を紹介させていただきます。

 皆さん社訓・家訓についてはいろいろお聞きになったことがあると思います。有名なところでは、三越の創業者・三井高利の『現銀(金)掛値無し』をご存知かと思いますが、まあいろんな家訓・社訓があります。私が一番印象に残っているのは、虎屋の黒川さんの『一子相伝』です。黒川さんは青年会議所の先輩に当たるのでお話させていただくのですが、兄弟で跡を継ぎ一緒に仕事をすると、一代目はいいのですが、二代、三代と続くうちにどうしても仲間割れをしてしまうため、虎屋さんは代々一子相伝で続けているということです。それは一つのビジネスモデルとして、私も正しいかなと思っています。

 我が家の場合、曽祖父、それから祖父、そして先代の父親も言っていたのは、「財産を残すくらいだったら教育に使え」ということです。我が家では、代々このようなことが家訓として言い伝えられております。会社の社訓としては、『商いは飽きない』『商いは飽きない』、あとは祭り用品の会社でございますので、『日本伝統文化の継承』、この3つを持っております。

 この他に、実はもう一つ裏の家訓と言える教えがあります。それは、『数字がわかる経営者になれ』というものです。経営者は従業員を抱え、社会的な活動をしながら多少の利益をいただいて経済活動を続けていくのが根本的な役割です。会社を大きくするということが良いことか悪いことかというのは私自身にもわかりませんが、適法手続に基づきながら税金を払うことは重要な使命です。というのは、私どもが使っている上下水道、道路などの社会資本というのは税金から成り立っているからです。我々がきちんと税金を納めることが、社会に貢献することなのです。

 ですから経営者にとって一番罪なことは、会社を潰してしまうことです。そうならないためにどうすればいいかと言えば、適正な利潤を持ちながら会社を営業していくということです。会社が儲かっているか?損しているか?調子がいいのか?悪いのか?こうしたことを調べるためには、会社の損益計算書と貸借対照表を読むことができなければいけません。これができなければ、経営者としては失格なのです。人間、一年一回は健康診断をしますよね?同じように会社も健康状態を診断しなければおかしいのです。それができるのが、損益計算書と貸借対照表です。

 人間が実態の人格を持っているように、会社も擬人化された人格、法人格を持っています。これはオランダの貿易会社が作った法人組織というものを、ドイツでより論理的に法整備されたものがベースとなっています。その資本構成によって合名、合資、有限、株式という違いがあるのですけれど、この法人の健康診断をするためにはどうすればいいか?ということで発明されたのが損益計算書と貸借対照表、つまり複式簿記と言われています。

 ですから、一年に一遍、自分の会社の財政状況を調べること。そして、いったいどれくらいの売上があって、いくらの原価があって、いくら儲けて、経費にいくらかかったの?を把握すること。この2つを読めないと経営者としてはダメなのです。

 皆さんの中にも、おそらく銀行にお金を借りに行ったり、補助金を申請に行ったり、することがあると思います。しかし、その時にきちんと自社のビジネスの強み、弱みをプレゼンできなければ、決してお金を貸してもらうことはできません。

 私どもは別名「国営企業」なんて言われるくらい、取れる補助金はほとんど取っているのですが、そのときに必要な文書を書くのも、説明をするのも必ず私自身が行います。「経営計画に基づいてどれだけの利益が出ています」「こういう経営方針で、今後はこうしていきたい」という話をするから初めて、銀行の融資や補助金を受けることができているのです。そういう意味でも、自分の会社の状態をBS/PLで把握することは非常に重要なことであると、個人的にも考えております。

浅草中屋 IT化の主な変遷

 1990年のカタログ通販開始、基幹システムの導入以降、私どもはすごい勢いでIT化を進めています。最初は2000年に導入したWEB通販が3回、POSレジも3回、大きなシステム変更を行っています。電子マネー決済も導入していて、いま話題のApplePay(アップルペイ)にも対応しています。他にも銀聯からPASMO(パスモ)、iDカードなど、多くの電子決済に対応しています。

 処理したデータは全てサーバーに集め、暗号化して管理しております。たとえばクレームについても全てデータベース化されていますので、その対応については毎年行われる経営戦略会議の中でも検証や議論ができる体制となっております。こうしたITを活用しつつ、私どもの販売網は、「通販・Web」「店舗」「催事」という3つのサイクルでシームレスに成り立っています。

 中屋のHPはコーポレートサイトとeコマースサイトの2つに分けています。なぜかと言うと、私どもはモノを売っていると同時に文化を売っているからです。ですから、私どもの会社自体を理解していただかないと、なかなか私どもの商品販売にも結びつかないだろうと考え、あえてコーポレートサイトとeコマースサイトの2つに分けています。更新情報にはTwitterからFacebook、ブログが全てリンクしておりますし、現在はスマートフォンにも対応しています。他にも「浅草ドットネット」という浅草のポータルサイトや「いい祭りニッポン」という日本全国の祭のポータルサイト、「江戸東京人セミナー」というポッドキャスト、「三社祭特設サイト」「浅草生中継カメラ」という計7つのサイトを運営し、販売促進に効果を上げています。

 弊社はIT化を進めるにあたって、経済産業省と中小企業庁の施策を守り、各種支援制度を活用させていただいております。まず取り組んだのは、平成14年に「経営革新支援法」認可です。これは中小企業が、新たな事業に挑戦することを支援するための法律で、私どもは「社内業務のプロセスの見える化」ということで申請いたしました。経営革新計画を作成し承認を得ると、各種支援措置が利用できるようになります。一番大きいのは、政府系金融機関から非常に低い金利でお金を借りられるようになることです。しかも、他の銀行からプロパー融資を受ける際にも減免措置がありますので、まだ取っていない方がいらしたらぜひとも取ることをお勧めいたします。

 ちなみに、私の所属しております東京商工会議所台東支部では、会員に無料で中小企業診断士による専門講座を設けています。おかげさまで23区内では私どもの支部が一番、「経営革新支援法」を取得している実績を持っています。あとは、中小企業庁が出している「中小企業白書」に事例紹介で二回掲載していただきました。内閣の閣議を経た白書ですので、二回も載るのはたいへん珍しいことだそうです。それから最近では、「中屋ファクトリー」という誂え品のシミュレーターシステムで経済産業省の「ものづくり革新事業助成金」を受け、昨年は「攻めのIT経営」中小企業百選にも選定されております。

最後に

 江戸時代の思想家・石田梅岩や近江商人の言葉で「三方よし」はご存知かと思います。「売り手よし、買い手よし、世間よし」、私はこのような考え方や、社会に貢献するという考え方は、企業として非常に重要なことであると考えています。

 私の場合、若い頃は青年会議所で社会貢献活動を行い、そこを卒業した現在はロータリークラブで地区職業奉仕委員長をさせていただいています。やはり経営者は孤独な存在ですから、ロータリークラブで諸先輩方とのおしゃべりを通じて、いろいろ自分の人生の生き方であったり、何かしらを判断する上での材料であったり、ヒントを得るための場にさせていただいています。また、ロータリーでは上の立場にいる人ほど律儀なんですね。そういう方々と接することで、自分も律儀になってきたと感じています。律儀な中に律儀を重ねていくというのは、経営者にとって非常に重要なことではないでしょうか。

 よく「40歳を越えると人は成長しない」なんて言いますけど、これは全くの嘘ですね。50歳になろうが60歳になろうが、勉強している人には敵いません。自分で自分を磨くことは常日頃忘れず、勉強なさった方が良いと思います。社員にいろいろ言うことも大切ですが、自分の生き様を社員や後継者に見せながら、自分にできることで社会に貢献していくことが、経営者の在り方の一つではないかと考えています。皆様も、ぜひこうしたことを実践していただければ嬉しく思います。本日はありがとうございました。

質疑応答より

Q. 100年以上続く理由として、社訓・家訓を守る以外で代々伝わっているモノはありますか?それとも、世代ごとの社長が時代に合わせて経営されてきたのでしょうか?

A. うちの先代にも、先々代にも言われたのは、「人懐っこさと律儀さ」、そして「言われたことは守る」「嫌なことは嫌だという」ということです。安請け合いをしてしまうと、結局自分で自分の首を絞めることになるのです。ウチの父親も非常に律儀で、「忙しいからできない」と言うのであれば先に言うこと、と常々申しておりました。見栄を張らないで自分のできる能力をきちんと発揮すること、自分に実直な生き方をすること、真面目さと律儀さ、あと自分に厳しくすることが大事だと思います。

実は同じようなことを、マガジンハウスにいた当時、ファウンダーである木滑良久最高顧問にも言われたことがあります。私も若い時は何でもできると思っていたので、一人で本を一冊作ろうと丸3日間徹夜してぶっ倒れてしまったことがあります。その時に言われたのが、「人間24時間365日しかないんだから、いいかげんにしろ!」ということです。いくら偉い人でも、優秀な人でも、一日の長さは同じです。となると、その限られた時間をどう使うかが重要になります。

要は、「人に任せるものは人に任せろと」いうことが言いたかったのですね。「いや、なかなか任せきれないんですよね」と言うと、「人を見る力をつけろ。人はね、好き嫌いがある。ただ能力を見るんだ」と言われました。それからは、人の能力だけは見るようにしています。「こいつは使えるな」と思ったら、嫌いなところは目をつぶり人に任せるようにしています。その時には、予め共通のルールやアウトライン、マイルストーンだけは決めておいて、あとは自分自身の考えを持ってやってもらうよう心がけています。このような教えも成功要因の一つとしてあるのかなと思いますが、一番は運が良かったのだと思っています。

私は「たまたま」という言葉をよく使うのですが、弊社が100年続いたのも「たまたま」があると思っています。私自身、前川先生と一緒で老舗学を研究していて、「江戸東京人セミナー」というポッドキャストでたくさんの老舗経営者のお話をうかがってきました。6年続けてきて分かったのは、初代と三代目と五代目が優秀だった会社は永久に続くということです。

ただ難しいのは、経営者が高齢になりつつあるときに困難な状態に直面してしまうことです。例えば関東大震災などの災害もありますし、弊社の場合だと昭和天皇が崩御された時は日本全国のお祭りが中止になり、たいへんな思いをしました。もし、あの時に年を取っていて後継者がいなかったら、会社も潰れてしまっただろうなと思います。ですから、たまたまのタイミングで運が良かったなと私自身は思っています。伊勢の式年遷宮をやらせていただいているのも、たまたま今60歳という年齢だからです。次の第63回式年遷宮の最後に行われる「お白石持ち行事」まで、なんとか動ける年齢ということでお受けすることができました。これももう少し若くても、年を取っていても難しかっただろうと思っています。

Q.いままで大きな失敗とか倒産危機というのはなかったのですか?

A. たくさんありました。創業以来、関東大震災や太平洋戦争も経験していますし、私が経験した中で一番大きかったのは、昭和天皇の崩御ですね。「残念なお知らせです、今上天皇が下血なさいました」という報道をきっかけに日本中が自粛ムードとなり、次の年のお祭りがほとんど中止になってしまいました。

それから、やはり3.11の東日本大震災。弊社の最盛期は4月5月ですから、前年からこの時のために設備投資をして、在庫も積み上がってきた最中でしたので、あの時は本当に危なかったですね。ちょうど資産の見直しを行ったばかりのタイミングで、前期は赤字だったのです。その時に気が付いたのは、銀行は冷たいということです。銀行は2年連続で赤字を出すと本部決裁ということになるので、態度がコロっと変わりました。同じように、保証協会も非常に冷たくて、あの時はさすがに少しめげましたね。ただ、もともと毎月の利益計画を作っていて、売上も全部データベースになっているので、自分で分かりやすいように売上・仕入れ・人件費・一般管理費で分けて、シミュレーションしていたのが功を奏しました。今後のお祭りの予定と照らし合わせたところ、一時的に資金ショートになる予想ができていたので、早めに金融機関と交渉し、資金を借りてキャッシュフローを厚くすることで、一番厳しい時期を乗り切ることができました。

Q. 流行に関しては見事にIT化をされて、先進的な取り組みが進んでいるということですが、御社にとっての不易、変えてはいけないものとはどのようなことですか?

A. 私たちにとって一番重要なのは、やはり先々代が言っている「商いを飽きずにやる」ということです。これは非常に含蓄ある言葉だと思っています。我々は小売業ですから、毎日のルーチンワークでモノを売っているわけです。そうすると、うちの社員もそうですけれども、「この人は特別なお客さまだ」「この人は普通のお客さまだ」なんて区別はしません。分け隔てなく日常ルーチンをこなすということが、「商いを飽きずにやる」ということではないかと思っています。

これは社員にもよく言っているのですが、商売をする上で「カスタマーサティスファクション」はとても重視しています。ネットの世界でモノを買う人はたくさんいますが、値段で言えば私どもは標準的なレベルです。ですから、値段以外の部分で「中屋で買ってよかった!」「俺は中屋で買ったぞ!」と、満足感を持っていただけるお客さまを持つということが重要であると考えているのです。私は、「お客様の顔の見える商い」というのは、そういうことではないかと思っています。「ウチはネット販売だから顔なんて見えないよ」と言うのは違う、それはおかしいのです。ですから、私どもは「日本全国のお客様に、店頭売りと同じようなサービスをするためにはどうしたらいいか?」「それに近い方法は何か?」ということをいつも考えています。

それを合理的にやるために取り組んでいるのがIT活用です。我々のデータベースには100万人以上の個人顧客の情報が入っていますので、注文や問い合わせがあれば、「この人はどういうお客さまで、前回何をお買いになって」と全部わかるようになっています。そうすると、「前回は◯◯をお買い上げいただきありがとうございます」という話から始めることができますので、「おう、俺はお得意様だよ」と、100万人全てのお客さまに思っていただけるのです。これは商売をする上でとても重要なことだと思っています。

2016年10月20日
公益資本主義推進協議会(PICC) 100 年企業訪問ツアーにて

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