【うなぎ割烹大江戸】江戸前240年の味覚と誇り 次世代への継承


江戸時代の四大名物食と言えば、寿司・天ぷら・蕎麦・そして鰻。

初代「草加屋吉兵衛」が草加屋を屋号として1780年に蔵前で創業し、以来日本橋本町で240年以上に渡り伝統の味覚を重ねて営々と受け継がれている鰻の名店だ。
江戸の街から生まれた江戸前という言葉は鰻のブランドネーム。

江戸の商業の中心地とされた日本橋界隈や浅草、神田などには100軒もの鰻店が多くあった。

大学卒業前に8代目である父を失い、以来母と二人三脚で鰻文化を継承し続ける湧井氏に、老舗とは?継いでいくとはどういうことなのか?を伺った。


インタビュアー:安東 裕二(株式会社FMC
ライター: 西川律子(株式会社Sacco)

湧井恭行

わくい・やすゆき

1940年日本橋生まれ。
1963年慶應義塾大学卒業と共に「うなぎ・割烹 大江戸」の9代目当主となる。
前・全国鰻蒲焼商協会 理事長、前・全国料理業生活衛生同業組合 副会長。日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会 副会長、日本橋一の部連合町会 会長。

目次

  1. 経験に学ぶ、耳を傾ける
  2. 激動の時代を生き抜くということ
  3. 一子相伝(いっしそうでん)に学ぶ
  4. 腹八分目、身の丈にあった経営を
  5. その日の鰻はその日に捌く

経験に学ぶ、耳を傾ける

―本日はよろしくお願いします。まず、「うなぎ割烹大江戸」として店を営むことになったきっかけをお聞かせください。

湧井氏:大学卒業の1年前に父が他界したことで、母と一緒に店を営むことになりました。

母は商売熱心な人で、子供の頃から商売に関わっていましたから、「こんなことがあった」「あんなことがあった」とあらゆる体験談を聞いて育ちました。母には何でも相談し、店を閉めた後の夜11時頃から毎晩2時間は話したでしょうか。

お母様の経験に耳を傾け、代々受け継がれてきた大江戸の家訓を引き継がれたのですね。

激動の時代を生き抜くということ

湧井氏:母は関東大震災、第二次世界大戦と激動の時代を生きました。

戦時中、鰻は統制品であったため、商売ができない頃がありました。戦後も米は取り締まりの対象になっていましたから、商売は大変でした。
浅草にあった木造の母屋は取り壊しになり、昭和19年3月10日の東京大空襲で爆撃に遭いました。江東区や台東区には軍事工場がありましたからね。浅草寺も燃え、10万人が亡くなりました。

東京に父を残し、5歳のとき戦火を潜り抜けて母と姉妹とで福井県に疎開しました。子供4人を母は良く守り抜いたと思います。

戦争に疫病、今のウクライナやコロナと同じですが、そんな混乱の時代において、生き抜く、店が続くということは大変なことです。

一子相伝(いっしそうでん)に学ぶ

伝承するということは、どういうことなのでしょうか?

湧井氏:江戸と京都の料理屋さんの違いは、京都は皆主人が包丁を持ちますが、江戸は包丁を持つ人と主人は別の店が多いです。

一方、京都の料理屋さんは自ら包丁を持つ方が多いので、それによって代々の料理が受け継がれていくことが多いと思います。それが京都の料理屋さんの長く受け継がれていく秘訣ではないかと思います。

腹八分目、身の丈にあった経営を

長い歴史の中にはいろいろなピンチ、困難があったと思います。
どういうことを学ばれましたか?

湧井氏:母との日々のやりとりの中で、食事は毎日営むものだから「腹八分目」であれ、「身の程を」知れ、「身の丈に合った」ことを行え、「目いっぱい」ではなく「余白を」残すように、とも教えられました。
母に教わったことを今後も継承していかないといけないと思っています。

それと、無理はしないが「チャンスは見逃さない」ことです。チャンスは向こうからやってきます。それを逃さないことが大切です。

その日の鰻はその日に捌く

社員教育の中で心がけていることはありますか?

湧井氏:日々、身の丈、目の通る範囲で仕事をすることだと思っています。
決して難しいことはやっていません。

長い歴史の中で大江戸の味は歴史と共にアップデートされているのでしょうか?また仕入れや焼きに大江戸印というものはありますか?

湧井氏:基本のマニュアルというものはあります。
タレの調合も昔からの味を引き継いでいますが、時代と共に職人のキャラクターと言いますか、微妙に変化をしています。

仕入れは息子がやっています。自分も50年やりました。魚河岸でいろんな話を聞くことが大事です。

大江戸の仕事は毎日見ています。タレの調合の確認や、昼向けに捌くものは昼売って、夜向きに捌くものは夜に売ります。余分に拵えさせない、そういうポリシーで仕込ませています。

今後の大江戸として、どうなっていきたいか?どうあるべきだと思っていらっしゃいますか?

湧井氏:自分も80歳を過ぎました。子や孫にどう継いで行くかを考えています。と同時に、未だ「こうしたい、ああしたい」と頭を過ることもあります。
ほどほどに、「腹八分目」を教訓に「目いっぱい」はやらないようにしています。

正しく恐れ、日々目の見える範囲で地に足のついたことをやっていくことが大切です。汗水垂らして働く以外の良い儲け話などありません。人とのお付き合いは大切に、人を見る目を養い、ご縁を大切にします。

本日はお忙しい中、ありがとうございました。

うなぎ・割烹 大江戸

〒103-0023 東京都中央区日本橋本町4-7-10

TEL:03-3241-3838