【高徳花火工場】先代から受け継がれる思い


今回の100年企業は、明治29年創業の有限会社 高徳花火工場様です。

100年以上花火事業一筋で続く経営の秘訣は、「お客様だけでなく従業員も同じように大切にする」という、先代から代々受け継がれる思いでした。


プロフィール

飯田 国夫

有限会社高徳花火工場四代目社長。PICC栃木支部 100年企業研究員会の委員長も務める。(2016年6月末時点)

―世代交代をされたきっかけと、その後の心境の変化があれば教えて下さい。

飯田氏:平成19年に先代が亡くなり継承しました。先代が亡くなる前、「『お客様は神様』は当たり前、本当は従業員が神様だ」と言われていましたが、世代交代を機にその意味がだんだんと分かるようになりました。これはこの後も継承していきたいと思っています。

―社員教育について気を付けていることは何ですか?

飯田氏:協調性を持つことです。私自身を含めて職人が6人、花火大会の時手伝う人が40名いますが、花火大会などの大掛かりな仕事の際は、お互いに助け合いながらやっています。先代から受け継いだ精神がうまくいっているのだと思います。

―花火屋としての苦労はどのようなものでしょうか。また、それをどう乗り越えてきましたか?

飯田氏:花火大会は景気に左右されやすいので大変です。バブルも経験しましたが、花火以外には手を出さず花火一筋で貫いたおかげで、売り上げ的なダメージは比較的少なかった印象です。

東日本大震災の年は、売り上げを大きく下げてしまいましたが、西日本の同業者から注文をもらったり、逆に東北の業者を支援したりと業界内での助け合いがありました。うちでは今まで仕事が減っても社員を切らずにやってきたので、その姿勢を見て従業員や周囲が長くついてきてくれているのではないかと思っています。

100年後、花火業界はどのようになっていてほしいですか?

飯田氏:とにかく100年後もこの業界が残っていてほしいと心から思います。今の状態に胡坐をかいていてはいけないと思っています。そのためには新しい花火も必要ですが、先人からの歴史継承しつつ、抜きんでた日本の花火の技術を受け継いで発展させていきたいです。

―技術の国外流出は問題にならないのですか?

飯田氏:実は、オリンピックで使用される花火はほとんど日本製なんです。いい花火は、推進力を使い切ったところで球状に広がり、一斉に消えるもので、この花火を作れるのは日本人の国民性を含めた技術によるものです。

生産量は中国が一番ですが、技術レベルは異なります。中国へ花火の技術を教えたのは日本人ですが、結果としての質は異なるので、技術の国外流出の心配はないと思っています。

―日本人でも職人気質の人が減っているように思われますが、なにか対策はありますか?

飯田氏:花火大会も昔は人が中心でやっていましたが、年々コンピューターで管理するようになりました。コンピューターはシステム化されて安全ですが、一度エラーが起きると中々対処できません。技を継承することと、安全性のバランスをどう保つかが課題です。

ただ、うちの会社の場合、お手伝いとして年々花火大会に参加してくれる人が増えています。人対人で、花火に興味がある人を誘って一緒にやってもらうという形で輪が広がっていきます。花火が好きという人の中には、花火大会の際に手伝ってくれる人が多くありがたいです。

―高徳花火工場の強みは何ですか?

飯田氏:志ですかね。私や従業員を含め、花火に対する思い入れは高いと思います。周囲にお世話になっているので、花火でそれを返していきたいです。そうしていけば高徳花火工場のブランドは消えないと思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です