【有限会社神田三原堂】100年続く伝統の製法を引き継ぎながら洋の世界も取り入れた和風モダンな和菓子屋


冠婚葬祭をはじめとしたイベント、会社への手土産などで菓子折りを渡すことも多いのではないだろうか。

今回お話を伺ったのは、大正11年(1922年)の創業以来100年にわたって手作りの製法を継承し、東京都千代田区神田駅前に店を構える有限会社神田三原堂の三代目 野見朗子氏だ。

三代目当主は、クラシック音楽畑という異色の出身。西洋音楽、美術などから培われた感性で先代から受け継いだ伝統的な手作り和菓子に加え、先入観にとらわれない洋の発想で和菓子をミキシングした。和菓子と洋菓子の2つの武器を手に100年を迎える老舗和菓子店を守っている。

関東大震災もリーマンショックも経験した老舗和菓子店の伝統とまったく新しい発想を融合する発想力の源を伺った。


インタビュアー:安東 裕二(株式会社FMC
ライター:成瀬ことおみ(株式会社Sacco

野見朗子

武蔵野音楽大学で声楽を学ぶ。演奏活動を経た後、結婚。2005年、祖父が創業した神田三原堂に入る。数年前、父から店を引き継ぎ、神田三原堂三代目当主として伝統を守りながらも、時代の流れに合わせた新しい和菓子作りを行っている。

目次

  1. 主人に説得されて継いだ三代目の看板
  2. 新商品へのチャレンジで定番商品の魅力を知った
  3. 新しいアイデアをどんどんと形にしている
  4. 震災も戦争も体験した100年の伝統
  5. 100年の技術を次の世代へ受け継ぐ

主人に説得されて継いだ三代目の看板

本日はよろしくお願いします。御社には100年の歴史がありますが、これだけ長く続けられるための経営理念や家訓のようなものがあるのでしょうか。

野見氏:この店は、私で三代目になりますが、祖父が人形町の三原堂本店で丁稚奉公から始めて、のれん分けで大正11年に創業しました。二代目にあたる父も出来る限り添加物を加えない食材本来の味にこだわり続け、現在私もこの手作りの製法で店を守っております。

伝統的な和菓子を守りたい熱意に突き動かされたのでしょうか?

野見氏:実は、小さな頃から和菓子に囲まれて育っていたこともありまして、私自身はあまり和菓子に興味を持っていなかったんです。でも、お店を継ぐと決まって、自分で和菓子を食べる機会も増えてから店の魅力を改めて知ることになりました。同時に、神田三原堂の昔ながらのあんこがお客様に愛される理由に気づくことができました。

私には弟がおりましたので、店を継ぐとは自分も周囲も思っておらず、音楽の道に進みました。しかし弟も別に道に進み、父も高齢になりまして店を続けるかどうか迷っていた最中、作曲家である私の主人に「君が店をやってみたらいいじゃない」と勧められたこともあり、店に入ることにしました。店を継ぎたい気持ちもありましたので、ダメだったらダメでいいじゃないかと背中を押されてようやく動き出すことができたんです。

それが今から17年前ですので、2005年の秋ごろの話になります。
三代目を引き継いだのは今から5年ほど前だったと思います。

ー経営を始められて大変だったことも多いかと思います。

野見氏:はい。経営を引き継いですぐにリーマンショックを経験したのです。弊社はオフィス街に店舗を構えております。土地柄もありますので、売り上げを大きく締めているのは、企業様のおもたせです。景気が悪くなり、ご挨拶用のおもたせを減らされると弊社も直に影響を受けてしまいます。

父の代でこそ和菓子屋が世間の不景気の影響を受けるのはもっと後だと聞いておりましたので、初めの内は不安に感じていませんでした。しかし、実際のリーマンショックでは店の売上が大きく落ち込んでしまい、今思えば最大のピンチだったのだと分かりました。
他にもあまりにも長い新型コロナの流行でお客様の足は遠のきました。また、お中元やお歳暮の文化が最近では激減しましたので、売上を確保するのにはいつも苦労しております。

新商品へのチャレンジで定番商品の魅力を知った

大変な経験をされていますが、やりがいも感じられたのでしょうか?

野見氏:そうですね。思い入れが深いのは、創業88周年米寿の際に私が考案した桜の塩漬け入りの最中です。桜と米寿にかけて桜寿最中と名付けました。大変好評をいただいており、今でも販売を続けております。袋を開けた瞬間に香り立つ桜香とちょうどいい塩っ気で今でも人気の商品です。

季節のものこそ、今までも販売しておりましたが、基本的にはいつも同じラインナップの昔ながらの和菓子でした。ただそれだけではつまらないと思っていました。私は音楽やヨーロッパの食文化からインスピレーションを受けたことが多く、洋風など新感覚の和菓子開発に挑戦してみたのです。

まずは、店に長く務めていた昔気質な職人に相談するところからはじめました。洋風の和菓子を作りたいと構想を伝えたところ、はじめは「なんだそりゃ」という反応でした。

でも、私が小さな時からずっと働いている職人さんだったこともあって、「アッコの言うことなら仕方ないな」と引き受けてくれたんです。それで実際に試作をしたら「あぁ、悪くないな」とまんざらでもない様子で(笑)。そのまま商品化への運びとなりました。

そこから生まれたショコラまんやミルク紅茶まんなど、人気商品も多くございます。

その一方で、和菓子を好きな方にとっては、昔ながらの定番商品が愛されているのだとも気付きました。新しい商品にチャレンジしたおかげで祖父や父の作り上げてきた伝統的な和菓子の魅力を知ることにつながりました。昔ながらの伝統の魅力も取り入れつつ、新しい発想の和菓子にも挑戦する温故知新が私の座右の銘になっております。

100年企業のインタビューで様々な方と対談させて頂くのですが、皆さん柔軟な方が多くて新しいことにチャレンジする行動力を感じます。

野見氏:偉そうなことは言えないのですが、川の流れのように新しい風流を取り入れなければ、受け継いできた水の流れが淀んでしまうのではないかと思っております。

今年は創業100年を記念して「百年最中フロランタン」をつくり、販売しております。これは和洋折衷の新しいサクサク食感が魅力的で大変ご好評を得ております。

新しいアイデアをどんどん形にしている

今後のビジョンをお聞かせください。

野見氏:今、進めているプロジェクトが、イベント毎に提供する特別なパッケージのご用意です。例えば、創立記念用に「○○周年記念」とシールで貼り付けられるパッケージを企画しております。

他にも、お祝いしたい方のお名前をお付けするなど特別なおもてなしもご用意できますので、新サービスとして打ち出そうと進めているところです。

すごいですね。とてもかわいいです。

野見氏:昨年99周年を記念してつくった白寿最中、そして今回100周年の最中のパッケージもオリジナルでつくっており、デザインは主人によるものです。主人はジブリ映画の音楽など手掛けるプロの作曲家ですがこういうデザインも得意なのです。「お嫁さんの白無垢」のイメージで依頼したところ、こちらの鶴のパッケージになりました。

震災も戦争も体験した100年の伝統

大正11年創業だと関東大震災や東京大空襲もこの場所で経験されたのですか?

野見氏:祖父から聞いた話では、創業した翌年に被災して、木造だった店が焼け落ちました。店の皆で上野の山まで逃げたと聞いております。

最先端の流行を取り入れる祖父だったものですから、昭和初期には珍しい鉄筋のビルを共同で建てたそうです。そのため、東京大空襲でも火災の被害は受けませんでした。

100年の技術を次の世代へ受け継ぐ

100年経っても愛されているお店だと感じられます。

野見氏:お客様にも気持ちの良い店だと褒めていただきうれしく思っております。お客様には気分良くお買い物していただきたいと思っておりますし、誠実に対応させていただきたいと思っております。

職人同士も技術を引き継いでいて、50年以上勤めてくれた前の職長から30代の今の職長に伝統の製法がしっかり伝えられています。今の職長は二人のお子さんを持つママさんでとても腕のいいステキな職人なんですよ。

経営者と従業員の関係であってもお互いに誠実に対応していくことを大切に、思いやりのある店にしていきたいと思っております。

―本日は為になる話を誠にありがとうございました。

神田三原堂

〒101-0044 東京都千代田区鍛冶町2-2-7 

TEL:03-3256-3037