遡ること約450年、天正年間に天下人に重用された、初代「香十」清和源氏安田義定を祖とする株式会社香十天薫堂。現在の社長である山田昌彦さんは、「香十」の歩んだ450年に日本の香文化の歴史を重ねた。
「香道」は、公家から武家、そして町人文化の花開いた江戸時代に最盛を迎える。しかし明治以降舶来物の香水にその道を譲り、昭和・平成と核家族化が進むにつれて、線香の煙はくゆらなくなった。香十もまた、灯火を絶やす危機に何度も見舞われた。
しかし現在、香りの多様化によって日本の香道は再び隆盛し、世界を魅了しつつある。日本香堂ホールディングスで日本の香文化を世界に発信する役割を担う香十天薫堂が、創立450周年に向けて目指す「香りの未来」を、山田社長に伺った。
インタビュアー:安東 裕二(株式会社FMC)
ライター:宮﨑まきこ (株式会社Sacco)
山田昌彦
やまだ・まさひこ
専修大学経営学部卒業。1984年株式会社日本香堂入社、東京本店、福岡支店、営業本部を経て2020年9月社長に就任。
目次
天正年間から約450年、香文化の伝統を承継する「香十」
―本日はどうぞよろしくお願いします。
御社は2025年で創業450年を迎える長寿企業だと伺いました。450年前というと、時は織田信長、豊臣秀吉の統治下です。そこから現在まで、御社と香文化は、どのような歴史を歩まれてきたのでしょうか?
山田:当社の源流は、天正年間の京都に遡ります。戦国時代に宮中で香の専門職として「香十」が生まれ、以後代々清和源氏源流の「安田家」によって受け継がれておりました。
二代香十は豊臣秀吉に、四代香十は徳川家康に重用されたと伝えられています。香文化は時代の流れとともに公家から武家へ、そして町人文化へと流れ、江戸時代中期には名人と名高い八代目高井十右衛門によって、最盛を迎えます。
この高井十右衛門によって書き残された『香十 十右衛門家傅薫物調合覚書』が、我々香十の基礎となる香のレシピです。
―「十右衛門」といえば、御社の中でも主力商品ですね。
山田氏:「十右衛門」シリーズは、「香十 高井十右衛門 家傳薫物調香覚書」の伝統を承継し、貴重な香木と最高の香原料を融合させ調香しています。白檀などの香木は非常に希少価値が高く、海外のごく一部の地域でしか入手できません。その販路を切り開いたのが、当社の関連会社である「株式会社日本香堂」でした。
日本香堂が1967年に大阪孔官堂から独立した際、海外の原料調達ルートを開拓したことが功を奏し、現在日本では手に入らない原料も入手できています。
―400年を超える長い歴史のなかで、経営危機に見舞われたことも幾度となくあったかと思います。そのようなとき、どのように考え、乗り越えてこられたのでしょうか?
山田氏:歴史を遡りますと、公家文化から武家、そして江戸の町人文化で香十は最盛期を迎えました。歴史に名を残す香りの匠、八代高井重右衛門によって数多くの銘香が創出され、香道は当時、茶道、華道と並んで三大芸道と称されるまでに大きな発展を遂げています。
しかし、明治、大正、そして昭和と時代が流れるにつれ、舶来のものが何でも重宝されるようになり、香道も香水に道を譲らざるを得なくなりました。この時代が香十にとって、そして日本の香文化にとって、消滅の危機だったといえるでしょう。
―御社はひとつの株式会社というだけではなく、日本の文化の担い手でもあります。御社が途絶えれば、日本の香文化の灯火も消えてしまうのですね。
山田氏:ここで日本香堂の創業者である小仲正規に出逢ったことが、危機を脱する契機となりました。風前の灯火だった香十の歴史名跡が、小仲正規に託されたのです。
日本香堂は当社の他に、毎日香をヒットさせた鬼頭天薫堂のブランドを受け継ぎ、世界に視野を向けて事業展開を始めました。
さらに、日本香堂の名前を一躍有名にしたのは、線香「青雲」のコマーシャルでしょう。雄大な曲調に誰でも歌いやすい歌詞で、線香のメインターゲットである一般ユーザーに広く知られるようになりました。線香といえば「青雲」、日本香堂というイメージを広く根付かせることに成功しました。創業者である小仲の先見の明といえるでしょう。
伝統を礎に、「不易流行」の精神で挑む
―日本香堂ホールディングスの「香り」を担う事業として、御社はどのような価値を大事にされているのでしょうか。
山田氏:日本の香文化の歴史が礎にあることを、しっかりと認識していただけるような企業でありたいと思っております。当社の歴史は、日本の香文化の歴史です。一つの文化の担い手としてのプライドというのは、決して失ってはならないものです。そしてそれこそが、香十の経営母体である日本香堂ホールディングス内で我々が担う役割でしょう。
しかし、伝統に固執し、今を見失うべきではありません。昭和から平成にかけて核家族化が進み、日本では線香を立てて先祖に手を合わせるという習慣が、日常からイベントという位置づけに変わりました。線香は身近なものではなくなりましたが、今、「香り」は私たちの想像を超えた多様性を見せています。
―お線香は日常から遠ざかりましたが、ルームフレグランスやオードトワレなど、香りは日常生活に彩りや癒しをもたらすアイテムになっていますね。
山田氏:今や、お客さまの方が香りの楽しみ方をよくご存じです。香りは時代に合わせて多様化しているのです。そのご要望に応えるために、香十に「Koju」というローマ字ブランドを設けています。Kojuでは、たとえばビジネスで渡す名刺にほんのりにおいをまとわせる「名私香」シリーズや、ルームフレグランスとして火を使わずに香を楽しめる「室礼香(しつらいこう)」など、香十の香りの伝統を守りつつ、新しい用途に対応した商品も展開しています。
―かわいらしいパッケージや高級感の漂うデザインで、Instagramでも大変人気が高いようですね。格式の高い長寿企業ですと、プライドが邪魔をしてSNSに積極的になれないこともあるかと思いますが、御社は現代のニーズにうまく対応して、若者の心も掴んでいる印象です。
山田氏:いえ、実は私も最初は半信半疑でした。伝統あるものが、一時の流行に乗ってブームになることで、やがては忘れられてしまうのではと懸念していたのです。
しかし、新型コロナの時期には、実際に足を運んで香りを体験していただく当社の商品は、大きなダメージを受けました。苦肉の策でInstagramを強化し、スタッフ一同、お客さまに繋がるよう本当に一生懸命発信しました。
そのうち少しずつ当社商品のファンになってくださる方が増え始め、今では次に何が出るかと、期待をもって商品を待っていただけるようになっています。
不易流行といいますか、変えるべきものは変え、守るべきは守っていくからこそ、長く愛していただけるのでしょう。
「香十」と「Koju」多様化する香りの未来
―創立450周年に向けて、香十が文化の担い手として歩む香りの未来を、どのように考えていらっしゃいますか?
山田氏:当社には伝統を受け継ぐ「香十」としての道と、時代の変化に合せた香りの多様性を切り開く「Koju」としての道があります。
新しく求められる商品も、高井十右衛門の伝統を基礎として展開しているからこそ、伝統を重んじるお客様にも選んでいただけるのです。
創立450周年に向け、2016年には香十発祥の地である京都、二寧坂にも出店し、「里帰り」を果たしました。
長い年月をかけて芳香を内包した白檀や伽羅、沈香は、今や海外のハイブランドからも注目を集めています。
創立450年を迎える2025年に向け、再度礎である「高井十右衛門」に立ち返りつつ、世界に日本の香文化を伝えるリーディングカンパニーとしての役割を担っていきたいと願っています。
―今回は貴重なお話、ありがとうございました。