日本の食卓に最も欠かすことができない調味料は?と聞かれたらほとんどの人は醤油を挙げるのではないだろうか。
今回お話を伺ったのは、大正12年(1923年)の創業以来、1世紀にわたって古来の製法で醤油を造り続ける弓削多醤油株式会社の代表取締役 弓削多洋一氏だ。
伝統の醤油造りはグローバル化とサステナビリティの潮流の中で、今や世界に誇る日本文化となった。伝統の醤油造りは現代人に何を語りかけているのか、そしてそれは経営にどのような影響を与えているのか。
30代で経営を引き継ぎ、様々な苦難の中で王道経営を追い求めてきた弓削多洋一氏に「100年続く経営」と「100年後まで続く経営」の意義について伺った。
インタビュアー:安東 裕二
弓削多洋一
ゆげた・よういち
1967年 埼玉県坂戸市生まれ。千葉大学工学部卒業後、株式会社明治屋で流通の仕組みを学ぶ。4代目として家業である弓削多醤油株式会社に入社。
日本の醤油文化を国内外に広めていくために、醤油について遊んで学べる空間「醤遊王国」を開設。
目次
- 大手会社との格差が広がる醤油
- 失われていった昔からの醤油造り
- 伝統を再発見し、商品の付加価値にする
- 100年後も人の心に刻まれる経営を続けるために
- 多くの人に醤油の魅力を知ってもらいたい
- 海外から注目され需要が高まる日本の醤油
- 100年保つ木桶が100年経営のシンボル
大手会社との格差が広がる醤油市場
―本日はよろしくお願いします。御社は創業が大正12年(1923年)ですから、間もなく100周年を迎えます。まず100周年を迎えるにあたってのご感想からお伺いします。
弓削多氏:弊社は100周年を迎えるのですが、醤油業界は歴史が古く弊社より長い歴史を持つ会社も多くありますので、その点ではまだまだこれからという気持ちです。そもそもこの50年で新しく醤油製造を始めた会社はありません。廃業する会社ばかりなので、生き残っていくのが大変だったというのが正直な感想ですね。
―日本人の食事に欠かせない醤油ですが、業界としては厳しいのでしょうか?
弓削多氏:日本国内の醤油市場は年々減少し続けていて、消費量は過去40年間で4割も減少しています。これは日本の米の消費量と比例しています。米も4割減少しており、米を食べなくなったので醤油も使われなくなっているのです。
―毎日使っているので、それほど減少しているとは思ってもいませんでした。
弓削多氏:縮小している業界の中でも格差が広がっていて、大手会社は利益を伸ばし、中小規模の会社はより苦しくなっている現状があります。皆さんが毎日使っているのは一般的に手に入りやすい大手醤油会社の銘柄だと思います。醤油業界は大手5社で業界全体の5割以上の売上を占めています。日本には、弊社のような中小規模の醤油会社が現在1100社ほどあります。ですから大手5社とその他1100社で市場全体の売上を50対50で分け合っている現状です。この情勢は最近5年でさらに変化し、大手55対その他45と、大手との差は広がっています。
この大手会社による寡占状態と、市場の縮小に、私は強く危惧を抱いています。このままでは日本の醤油文化が途絶えてしまうのではないか。醤油本来の魅力をもっと多くの人に伝えるために私たちに何ができるのか、考えなければならなくなったのです。
失われていった昔ながらの醤油造り
弓削多氏:弊社は初代当主だった私の祖父弓削多佐重が醸造学に興味を持ち、醤油造りをしようと思い立ったことに端を発しています。それまで農業に従事していた祖父佐重は、親戚の紹介で入間の醤油蔵から杜氏さんや桶などの設備を丸ごと引き取り、醤油造りを始めました。ですからそれ以前も含めると、実は弊社には200年以上の歴史があります。
―200年以上となると江戸時代から?
弓削多氏:その頃はどこの家でも自宅で醤油を作っていました。農家がもろみを自分の家で造り、それを醤油屋が1軒1軒回って搾り、火入れして1年分置いておくというやり方で醤油を造り、各家で使っていました。明治時代になっても埼玉県下には120軒くらい、自分の家で醤油を作っている所があったそうです。しかしその後大手が大規模な工場で醤油を大量生産し始めたので、どこも醤油造りを辞めて現在では醤油造りを続けている所は埼玉県内で9軒になってしまいました。
―100年で120軒が9軒に減ってしまった。
弓削多氏:はい。本格的に醤油を作るためには大規模な施設と広い土地が必要になります。ですから中小の醤油会社は次々と廃業していき、その隙間を埋めるように大手会社がさらに拡大していった。その結果大手企業による寡占状態になってしまったのです。
寡占化のもう1つの理由が脱脂加工大豆の普及です。戦前は大豆を丸ごと使う丸大豆醤油しかなかったのですが、戦後になると大豆油を抽出した残りの脱脂加工大豆の方が値段が安く醤油造りがしやすいのでそちらが主流になっていきました。戦後にはほとんどの醤油が脱脂加工大豆で製造されるようになってしまったのです。
昭和50年頃になるとスーパーマーケットで買い物をすることが一般的になりました。スーパーマーケットで並べられるのは大手会社の商品だけ。そこでも小さな醤油製造会社は淘汰されていきました。
……厳しい状況の中、弊社のような規模の小さい醤油会社が活路を探していく中で、私は改めて醤油本来の味や魅力をもっと多くの人に伝えていくことが重要だと感じるようになっていったのです。
伝統を再発見し、商品の付加価値にする
―醤油本来の味や魅力を伝えていくとは具体的にどういったものなのでしょうか。
弓削多氏:1つめが丸大豆醤油を復活させたことです。
脱脂加工大豆は大豆油を採るために粉砕された残りかすで、大豆油を溶解させるためにヘキサンという有機溶剤を加工助剤として使用します。これが添加物を嫌う人から良くないのではと指摘されるようになりました。それで、弊社を含めた埼玉醤油工業協同組合で丸大豆醤油を復活させることにしたのです。小規模の醤油会社が無くなっていく中で、付加価値のある商品を市場に示していきたいという目論見もありました。しかし脱脂加工大豆しか使わなくなってから30年も経っており、技術が失われていた。それで埼玉県の試験場に協力を仰ぎ、研究を重ねて丸大豆醤油造りを復活させました。
―古い技術を復活させることで商品の付加価値にしたということですね。
弓削多氏:そうです。消費者が自然食品・無添加食品を好み始めた時流もありました。
もう1つが醤油を作る木桶の価値を再発見したことです。昭和50年代、醤油を大量生産するための管理がしやすい金属製のタンクを導入することが流行しました。弊社でも金属製のタンクを入れたのですが、それまで使っていた木桶も残してありました。
「近代化に乗り遅れたなぁ」と当時私たちは思っていたのですが、見学に来た人たちから「この木桶がすごく良い」と評判になり広がっていったのです。
―確かに御社の工場見学で見ることができる、高さ・直径ともに2メートルを超える桶がずらりと並んでいる風景にはとてもインパクトがあります。
弓削多氏:20年ほど前から弊社では蔵見学を受け入れています。埼玉県という立地なので都内からの見学者が多いのですが、彼らから、醤油屋にとっては珍しくないこの木桶が並ぶ風景が古めかしくて良い、と好評になりました。さらに最近の研究で木桶には酵母菌や乳酸菌が住み着いていて、それによって自然発酵が進むため、蔵ごとの違いがあることも注目されるようになりました。「木桶で作る醤油」の価値が再発見されたのです。現在弊社では「醤遊王国」と名付けて、醤油の造り方や使い方など醤油について楽しく学べる体験学習の場として広く開放しています。自分たちにとっては当たり前だった醤油造りの様子が、外から人にとっては興味の対象だったというわけです。
実は丸大豆醤油や木桶で作る醤油などの伝統的な醤油が持っている魅力は、元々自分たちの持っていた財産でした。大手企業と相対する中で小さな醤油会社がどう活路を見出してくか探していく模索する中で、それを外から来た人たちに教えてもらったのです。
100年後も人の心に刻まれる経営を続けるために
―今までのお話は業界大手が拡大していく中で、中小規模の会社が如何に道を探し、乗り越えてきたのかが分かる好事例だと思います。
弓削多氏:ここに辿りつくまでは苦心の連続でしたけどね(笑)。私は大学を出た後、株式会社明治屋に就職し、流通の勉強をしてから家業に戻りました。しかし最初に就いたのは醤油造りではなく営業。弊社はジュースやサラダ油を地元の店に卸す問屋業も営んでいたのですが、当時はそちらの方が売上が良く、10年ほど専従で勤めていました。しかしある時、父が醤油の醸造タンクから転落して大ケガをしてしまい、車椅子生活で話をすることもできない状態になってしまいました。それで急遽社長として陣頭に立たねばならなくなったのです。
―急に事業を継承しなければならなくなったのですね。
弓削多氏:はい。私にとっては祖父の代からの家業ですから、いずれは製造も引き継ぐことになると思っていたのですが、あまりにも急で醤油造りのノウハウなどを聞くこともできませんでした。しかしやらざるを得なかった。ですが、むしろそれを転機と捉えて、積極的に新しいことに挑戦しようと思い立ったのです。
もし父だったら木桶を残すという判断はしていなかったかもしれません。父が倒れた後になって木桶の価値が見直されるようになったので。その点でも大きなターニングポイントでした。
―現在弓削多さんは経営理念を定め、内外に経営への想いを強く押し出されています。
弓削多氏:創業から100年を意識しその重みを実感するようになって、自分の理念を言葉より文書で示すべきだと考えて始めました。歴史が長い会社だと働く人の社歴も長くなるものですが、弊社でも長い人は40年近く、他にも20年勤続してくれている人もいます。彼らに私の想いを明示することで100年の責任を感じてほしかったのです。
―掲げられた経営理念には「100年後も醤油造りを続ける」と書かれています。今までの100年を経て、これからの100年を見据える気概を感じます。
弓削多氏:100年後を考えなければ100年会社は生き続けられませんから。
多くの人に醤油の魅力を知ってもらいたい
―改めて、これからの方針や目指す先についてお伺いしていきます。御社は今、「日本初の生しょうゆ」と銘打ち吟醸純生しょうゆなど様々な意欲的な商品を世に送り出しています。お話にありましたが、醤油の消費量が減少し続ける中、弓削多さんは今後どのような道を考えていらっしゃるのでしょうか。
弓削多氏:まずはファンをつくっていくことだと思います。醤油という商品の特性で、飛び込み営業をしてもなかなか受け入れてもらえません。ですから展示会などでまず味を見てもらいたい。味わってもらえば他の醤油と何が違うのか、すぐに分かってもらえます。そして何よりここに来ていただくのが1番ですね。
―工場見学してもらえば、伝統的で丁寧な醤油造りをしていることが一目で分かりますね。
弓削多氏:一般のお客様はもちろん、飲食店の方にも是非来ていただきたいです。今は弊社の商品を指定して使ってくれる料理人の方も増えてきました。また以前セブンイレブンの焼きおにぎりに弊社の醤油を使ってもらったことがあります。当初は地元の店舗だけだったのですが、弊社の焼きおにぎりの評判が良く、埼玉県内全域に広がりました。
海外から注目され需要が高まる日本の醤油
弓削多氏:もう1つは海外です。近年海外では和食ブームにより、醤油の消費量はこの10数年で50倍と、飛躍的に伸びています。現在では和食だけでなく洋食でも醤油が一般的な調味料として認められてきている。消費量が減少し続けている日本国内市場ですが、しかし世界に目を向ければまだまだ醤油の魅力を広げられるブルーオーシャンが広がっていますから。
―それほどまでに伸びているのですね!海外ですと伝統的製法や無添加というのは大きな付加価値になると思います。
弓削多氏:はい。海外、特にヨーロッパではクラフト、すなわち職人による技術を重んじる文化があるので手作り感、特に木桶で製造している点は高く評価してもらっています。弊社でも輸出量は2019年から2020年に1.5倍に、2021年にはさらに1.3倍に伸びている。コロナ禍の前には「醤遊王国」への外国人の見学も多くみられました。彼らが注目するのもやはり木桶で作った醤油。海外でのマーケットは今後も力を入れていきたいと思っています。
100年保つ木桶が100年経営のシンボル
―海外でも木桶で作る醤油が注目されているということですが、今後木桶で作る醤油の価値はさらに高まっていくのではないでしょうか。
弓削多氏:そうですね。弊社でも2022年に地元の材木で新しい木桶を作る予定です。しっかり作った木桶は100年使うことができます。しかし木桶を使う人が減っていて木桶の文化が滅びかけている。醤油業界全体を見ても、木桶で作った醤油は僅か1%ほどです。それを危惧した、木桶を使って仕込みを続ける企業や関係者が集まり「木桶職人復活プロジェクト」と題して活動しています。弊社もそれに参画し、職人さんに来ていただき、新しい木桶を作っていただく予定です。使った木材も地元のもの。新しい会社の財産です。
―木桶が100年保つということに、御社の100年経営との繋がりを感じます。
弓削多氏:私もそこに深い縁を感じています。今後の100年の醤油造りを考えた時に、仕込みをするたびに桶の板に何年に仕込んだ醤油がどんな味だったか、記録していくのが良いのではと考えました。それを蓄積していくことで100年の重み、100年語り継がれる醤油造りの記憶を重ねていくことになります。
―そうやって経営が人々の心に刻まれていくのは素晴らしいですね。
弓削多氏:昔から我が家にあった木桶が、大切に使っていくことで100年でも役に立つ。外から見学に来た人たちに教えてもらったことですが、それに気づかされたのは1つの大きな発見でした。桶が持っている100年の重みが、そのまま会社経営に一致したのです。
今、弊社では様々なコラボレーション商品も展開しています。醤油を使ったソフトクリームやお菓子メーカーと協力した新商品を展開し、「醤油ってこういうのにも合うんだな」と多くの人に知ってもらいたいのです。そして醤油、木桶などを通して日本の文化を残していきたいと感じています。それを100年語り繋いでいくことが、100年の経営になっていくと考えています。
―本日はありがとうございました!
【会社紹介】弓削多醤油株式会社
〒350-0246 埼玉県坂戸市多和目475
TEL:049-286-0811
FAX:049-286-0828
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