今回の100年企業は、もなかで有名な銀座和菓子の老舗、明治17年の空也様です。
画家や文豪、梨園や落語家の方にファンが多く、夏目漱石の小説「吾輩は猫である」“空也餅”の名で登場する「空也最中」で有名な銀座和菓子の老舗です。
老舗としての伝統は守りつつも、近年では時代の変化に合わせた新規事業の取り組みにも力を入れていらっしゃいます。五代目代表であられる山口様に、経営の秘訣をお伺いしました。
プロフィール
山口 彦之
空也五代目社長。もっと幅広い人たちに向けたお菓子を作りたいという想いから、2011年に新ブランド「空いろ」を立ち上げ、現在同ブランドのディレクターも務める。
―経営をするうえで、一番大切にしていることは何ですか?
山口氏:「いい材料で丁寧に仕事をすればおいしいものができる」という考えです。材料には、「どこに出しても恥ずかしくないものをつかう」というこだわりを持っています。
職人としての技術が高い人はいっぱいいるかもしれませんが、空也では高い要求よりはとにかく「丁寧に仕事をする」ことを大切にしています。添加物などは使いません。食べ物は、口の中に入れて身体で吸収するものなので、食の安全は当然のことだと思っています。
―いいものを作るための働き方について教えて下さい。
山口氏:父から言われているのが、従業員に対して、国が定める労働基準法にのっとった仕事をすることです。その中でできる量は1日8000個。それ以上負荷をかけてもいいものはできません。空也は常に予約で売り切れてしまうので、もっと生産すればいいじゃないかという要望もありますが、それではいいものづくりができなくなると考えています。
2011年に「空いろ」というブランドを作った段階で、会社の規模拡大という側面がありましたが、自分の中では規模だけを求めたわけではありませんでした。雇用を増やしているので社会貢献にもなりますが、丁寧に作る、働き方を変えない、を貫いています。
―継ぐことは、いつから意識していたのですか?
山口氏:実は親に継げと言われたことはなく、後継者についてあまり意識したことはありません。和菓子の業界でも、後継者問題は大きな問題になっています。5店舗の若手が集まったパネルディスカッションなどもしていますが、私以外の4名は先代に継ぐということが当たり前であるというふうに刷り込まされたと言っていました。
私の場合はあまり言われたことがなく、親からは、私の代で閉めるならそれでもいいよと言われていましたが自然な流れで継いでいました。社会人生活(流通業3年間)をした後に、製造現場に入って、お菓子の専門学校に通い、店を継ぐにはどうしたらいいのかを考えていきました。
―空也の歴史について教えてください。
山口氏:空也の初代は、江戸城の畳屋の仕事をしていました。明治になってから江戸城での仕事がなくなってしまい、その頃属していた「関東空也衆」という踊り念仏の集まりでお仲間だった日本橋の「榮太樓總本鋪」さんに協力してもらい、職人をつけてもらって、明治17年に上野・池之端で創業しました。
東京大空襲の際に一度焼けていて、戦前の資料などは全く残っていません。残っているのは、空也という文字が彫ってある石碑くらいです。
夏目漱石に懇意にしてもらっていて、書籍にしるしを残してもらっており、その書籍で当時の内容を知ることはできます。
―代々伝えられていることなどはありますか?
山口氏:うちには社訓等はありません。ですが、店としてのベクトルとして、「いい材料で丁寧に仕事をすればおいしいものができる」と伝えられてきました。代々商売っ気がなく、もちろん生活に困らないお金はほしいですが、必要以上にたくさん儲けようと思ったことがあまりないのです。カードが使えない、ホームページもない、予約も電話でしか受け付けない。そんなお店が、平成から元号がかわる時代にもあってもいいのではないかと思っています。
もなかは高級品ではなく、庶民のお菓子です。いいものをしっかり提供させていただいていくために、カード手数料や個包装等その分のコストがかかるものは省いています。そういった意味で、よりよくなるために材料などの改善や衛生面、見えない部分での努力はしていきますが、表面的に見える部分で革新的なことをするつもりはありません。
―和菓子離れと言われていることに対して、どのように考えていらっしゃいますか?
山口氏:和菓子、あんこにもう一度目を向けてもらいたいです。日本の食文化は外に向けて、海外に向けて誇れる食文化ですが、和菓子は比較的広がっていない食文化のように思います。
伝統的な食文化としてなくならないとしても、天然記念物のようにになってしまう危機感があるので、まずは日本の人に目を向けてもらう必要があると考えています。
―空也と「空いろ」の今後について教えて下さい。
山口氏:空也は銀座の店は今のまま、ある種不便なまま、周りの社会が許すのならこのままの状態で続けていきたいと思っています。空いろは目的をもってやっている事業なので、目標が達成されたらそれが成果。だからといってそのまま続ければいいというブランドではないのです。役目が終わることがあるかもしれません。
この事業では若い世代に和菓子を口にする機会を提供するために、洋のテイストを取り入れています。和菓子はあんこが命。ただ、餡って材料であって商品にはなっていないのです。だからこそ、あんこをジャムのように感じてもらえるような、そんなイメージを持ってもらいたいと思い、あんこの新しいブランディングを目指しています。
―今後についてどのような展望やビジョンをお持ちですか?
山口氏:中長期的なプランがあるわけではありません。空いろを立ち上げたときも、2010年から2011年でびっくりするぐらいのスピードで縁が繋がり、資金繰りの承認が下りたのが3月10日でした。公庫だったので、1日ずれていたら融資が実行されていなかった可能性もあります。
やろうと思ってやるというよりは、使命、宿命に従っているように思わざるを得ないようなことがあり、それで今日に至っております。プランはなく宿命を受け入れ続けているという感覚でしょうか。ただ、もっと和菓子をスタンダードな存在にし、海外の人にもその存在を知ってもらえるくらいにするのが私の夢です。
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